30代を振り返る~仕事に生きた20代から一転、主婦としてもがいた30代~

2026年のサッカーW杯まであと3年を切りました。2024年からはアジアカップがカタールで開催されます。息子は朝練に試合に合宿に励んでおり、夏休みにいよいよJリーグ下部組織のセレクションが始まります。長女は毎日ワークにバイオリンにダンスにサッカーに塾に奮闘しています。次女は幼稚園に慣れて、つい先日は区民プールで泳げるようになりました。そして自分はというと…年初に立てた英語とダイエットという目標は、半年経っても何ら到達できていないという始末。子供も小さいし、忙殺されているのだから、できなくても仕方がないと、ここ数年は正直諦めてしまっていました。でも到達できないまま30代を終えてしまって、本当に良いのか?2023年も半分が過ぎてしまいました。この半年間、いや30代全体を振り返ってみようと思います。


好きになれなかった主婦業でも「一万時間の法則」


自分はあと2年で40歳を迎えます。30代で到達したい自分像があり、30歳を迎えた時に10年間の目標を立てました。それは「家事と育児を一人で回せるようになる。主婦として一人前になる。3人の子供の母親になる。」でした。最後は運良く達成されましたが、前者2つは何をもって達成したとみなすのか、評価できない目標を立ててしまったなと反省です。息子の妊娠後期に入ると共に主婦になって8年。子供達3人をワンオペでみられるようになって、夏休みについては不安のない今、結果的に達成できたのではないかと自分では思っています。というのも、1万時間の法則というものがあり、「人は何かを習得するのに1万時間の練習が必要」と言われているのですが、自分は毎日6時間(朝・昼・夜それぞれ2時間)以上は家事をしていて、登園・登校・習い事の時間を除いて毎日8時間以上は育児をしており、それを365日毎日、8年間に渡ってやってきたということは、計算すると17,520時間を家事に、23,360時間を育児に注ぎ込んできたことになるのです。これだけの期間を費やして、現時点、家族全員健康に元気で過ごせているのであれば、「家事と育児を一人で回せるようになった。主婦として一人前になった。」と言って良いのかなと思うようになりました。いや、結局、家事も育児も自分の満足の行くところまでこなしきることはできないし、それが到達点ではないということを、認めることができたのだと思います。自分にとって家事を100%こなすということは、その間子供達の相手ができなくなるということ。育児に100%注ぎ込むということは、その間家が回らなくなるということ。どちらも適度に諦め、適度に踏ん切りをつけ、家族の満足度を高めることにとにかく注力していた気がします。家族全員が全力で休み、安らぎ、笑顔になれる場所として、24時間365日機能し続けること。家はとっ散らかっていますが、子供達は元気いっぱいに毎日を過ごしています。


とにかく辛かった30代前半


そんな自分の20代は、仕事・会社が大好きで、深夜残業でタクシー帰りも休日出社も厭わない、障害対応はアドレナリンが出まくるので大好き、組合によるレク活動には積極的に参加、長期休暇は同期と沖縄旅行やスノボに出かける、といった、典型的な会社大好き人間でした。周りは優秀で努力家ばかり、啓発的で刺激的で、会議では会話のキャッチボールがとにかく速く、社内社外たくさんの方々と共に連携してシステムを保守していくのが、とにかく誇らしく楽しかったです。思い返すと胸が苦しくなるような失敗や失態もたくさんありましたが、会社のカリキュラムや教育制度が素晴らしく、教育学部卒でシステム開発には何の戦力にもならない自分でも、突発力と推進力があると見込まれ、成功体験と知識と自信を与えていただきました。そんな大好きな会社を退職して、主婦の道に飛び込んだのです。なぜその道を選んだのかというと、こちらにも書かせていただきましたが、さらに深掘りをすると、自分は両親それぞれを超えたいという意識が強くあったように思います。20代でそれなりの収入を手にし、自営業で社長だった父を超えた気になりました。30代では主婦だった母を超えたい、自分なら楽に超えられるという慢心がありました。しかし20代、自分のためだけに自由奔放に全てを費やしてきた自分にとっては、30代からの環境の変化によるストレスは凄まじかったのです。

私にとっての主婦業のイメージは、暗い海の底、誰からも見えない深い井戸の中で一日中子供達と過ごし、自分達の声は誰にも聞こえず、上に見える自由に泳ぐ人達や眩い空を見上げる日々。最初の5年間はとにかく長く辛く苦しかったです。これまで培ってきた経験や知識が何も活かされない。要領の良さに自信はあったのに育児には通用しない。24時間土日祝日休みなし。夜はいつ起こされるかわからない。常に寝不足。スケジュール全てが子供達のご機嫌と体調で変わる。働いていないので貯金は減る一方。自信喪失。仕事したい。会社員に戻りたい。そんなことを思っている主婦なんていない。孤独。そして当初決めた目標である第二子の妊娠と同時に、鬱になったのです。起きている時間が地獄で、ソファから起き上がれない、体が動かない、着替えることができない、そんな状態に陥りました。夫はすぐ義両親を呼び、義両親はすぐに息子を預かりに来てくれました。彼らには本当に感謝しています。そんな自分を見かねて、夫はフリーランスという道を提案してくれました。自由度が高く、月にわずかですが稼働していく中で、ようやく回復することができ、自分はフリーランスになろうと決めたのです。

正直自分は、主婦業を仕事より楽で簡単な仕事だと思っていました。でも仕事の方が、どれだけ楽だったか。いや、自分に向いている、かつ自分にとって楽になるであろう仕事を、上司がアサインしてくれていた、ただそれだけだったのです。辛く苦しかったのは、夫の家事がゼロだったこと、これは今も変わりません。そして育児は自分の鑑であり、自分の生き方への反省と、両親の離婚というトラウマの克服が必要でした。気付きがものすごくあり、一つ一つを乗り越えることが必要だったと、今なら理解できます。

30代での自分の目標を達成し、なぜやり残したことを感じているのか?それは、私がずっとこうなりたいと言い続けてきたこと(英語、ダイエット)を達成できていないから。これは2つとも、夫から言われていることでした。自分自身やりたい、なりたいと言ってきたことが、家事・育児を言い訳に実現されていないことを、夫は嘆いていたのでした。夫は仕事を言い訳に、育児を諦めることは決してしないのに。


理想の自分・理想の親・理想のパートナーになることを目標にする


20代、就職活動中は、狂ったように自己分析をやりました。これは生きていく上で常に必要で常に明確でなければいけないことでした。自分にとって理想の自分とは?だけではありません。子供達にとって理想の母親とは?夫にとって理想の妻とは?この3点をとにかく突き詰めたいと思います。ゆっくり書き留めながら、考えてみようと思います。日々とても目まぐるしく忙殺されていることに変わりはありません。20代で100時間残業していた比ではありません。でも今になって思うのは、20代よりも大変で当たり前なんです。だからこそ成長できたんです。そしてこれから迎える40代も、そんな30代より試練でなくてはならないんです。自分が50代を迎えるまでに、小学生、中学生、高校生、大学生になる子供達に、より一層の成長を求めるのであれば、自らがそうあり続けなければならないのです

さて、38歳。更にしんどくなることがわかったところで、英語とダイエットはラストスパート、とにかく日々頑張っていこうと思います。